念願の房州へ

私は人物画を描いて一水会や日展に出品しているので人物画家としての印象が強いようですが、描く枚数としては静物や風景の方が多く、描いていて楽しいのはなんといっても自然の中で写生する風景画です。大阪に住んでいた頃は奈良や和歌山に度々写生に出かけ、五月の連休には恒例の様に信州に雪山を描きに行っていました。それが2010年に鎌倉に転居してからは関東の写生地に馴染みが薄いこともあり、写生の回数がうんと減ってしまいました。鎌倉で描く風景といえば冬に湘南海岸で描く富士山が主になっていたので、関東での写生地をもっと開拓しなければと思っていました。

関東の写生地では、房州の花畑を中村琢二先生がよく描かれていました。私も鎌倉に来たので、一度は行ってみたいと思いながら十年が過ぎました。花の季節である二月、三月に他の予定が入っていたのかもしれません。今年はコロナ自粛でフリーの時間が増え、初めての房州写生が実現しました。写生旅行を三泊四日で計画し、写生場所については一水会の先輩で鎌倉にお住いの吉崎道治先生にお尋ねしました。先生はさすがによくご存知で、路地花が美しい南房総千倉について写生場所まで丁寧に教えて下さいました。今回の写生旅行は、私の教室の生徒さんで千葉在住の杉崎健二さんに運転と案内をお願いしました。杉崎さんは、房州へは何度か行ったことがあるものの写生は初めてとのことで喜んで案内を引き受けて下さいました。

鎌倉から南房州へは、まず三浦半島の久里浜に出て、フェリーに乗って東京湾を渡ります。房総半島側の金谷に着いたら、そこから目的地の千倉までは約一時間。家から現地まで三時間ほどの行程です。旅行初日は、晴天ながら風が強い日で大きなフェリーがゆれて、久しぶりの船酔いとなりました。金谷港に着いて、吐きそうになるのを我慢しながら南房州へ。南房州の野島崎まで来ると、たまたまなのか人も車も少なく田舎まで来た感じがします。

この近くに、青木繁が若い頃写生旅行に来たという布良(めら)という漁村があります。明治の頃、東京から房州南端はさぞや遠く地の果ての感あったろうと想像できます。

青木茂 「海の幸」

青木の代表作「海の幸」は、この旅行に同行した坂本繁二郎が目撃した、漁師達の勇壮な水揚げの話から、青木繁が想像を膨らませて描いた絵とのことです。そんなことを思いながら見る外房風景は、青木に憧れて青春時代を過ごした私の目に、若い頃のような新鮮な感動を与えてくれました。

初めての写生地では、初日はその一帯を広くまわってみて写生場所を探します。何ヶ所かポイントを見つけておくと二日目からの写生が効率的です。はじめに、吉崎先生が描かれた場所へ行ってみました。口述で聞いて、地図で確かめただけの場所ですが、ほとんどその通り、花畑と海の”絵になる景色”がそこにありました。しかし、吉崎先生が描かれておられたのは十年ほど前、花畑はうんと縮小しており、絵になる場所が次第に少なくなる淋しさはここでもありました。何はともあれ、初めての写生地で念願の花畑を前に心浮き立つ写生の始まりです。写生ポイントは何ヶ所か見つけましたが、その日は強風で、海岸近くなどは立っているのも不安定な程、イーゼルを立てようものならキャンバスが吹き飛ばされます。建物の壁際の無風状態の場所を見つけて、やっと一枚の絵を描き上げました。

宿は野島埼灯台のすぐそばのホテルです。​

7階の部屋の窓からは180度広がる太平洋と灯台が見えて、ここも絵になります。写生に出ると、昼間一生懸命に絵を描いて、夕方宿に帰り、風呂に入って一息つき一杯やりながらの食事が楽しみです。地元の新鮮な食材を使っての美味しい料理をいただき乍ら、本日の写生地と明日の行動等を話します。風景良し、食事良し、これも写生旅行の大きな楽しみです。

二日目の朝から風も止み晴れ渡って絶好の写生日和です。それから三日間好天に恵まれ存分に描くことができました。写生場所を探しこれを絵に描く時、その景色をどう切り取るか、それが構図です。良い場所が見つかり、良い構図が取れたら絵が半分できたようなものです。この度の写生旅行で8号3枚、6号3枚、計6枚の絵が出来上がりました。アトリエに帰り気になるところを少しばかり加筆して完成とし、サインを入れました。

また来年、花の頃に行こうと思います。次は、場所、構図等、趣を変えて描きたいと今から楽しみにしています。

旅行から帰ると、まだ蕾だった裏山の桜が満開となり、それを静物画で描いています。そうしたら次は庭のバラが咲き、信州の春の雪山が美しい季節を迎えます。忙しいことであります。(^^)

今回描いた絵を紹介します。

1枚目​

初日、強風の中、民家の壁際に無風の場所を見つけ描く。この絵だけ見ると穏やかに見える。オレンジ色と黄色の花はキンセンカ。家や電信柱が絵にリズムと奥行きを作っている。

2枚目​

二日目の朝、風も止み絶好の写生日和。野島埼灯台を望む公園にイーゼルを立て描いた。

3枚目​

花畑の農作業小屋の裏。花畑の向こうに海が見える絶好の場所を見つけ描く。農作業小屋で働く婦人がこころよく場所を提供して下さりこの絵ができた。

4枚目

ホテルのすぐ向かいの海岸から灯台を描く。干潮時で、潮がどんどん引いていく感じをさとり、近景の岩場と海を先に描く。描いていくうちに岩場まですっかり干上がってしまった。潮岬(和歌山)や犬吠埼(千葉県)のような断崖に立つ灯台もいいが、芝生公園に立つやさしい灯台の方が私の好みに合う。

5枚目

三日目の午後、再び花畑を求めて千倉へ。初日、二日目と、畝が横に並ぶ花畑を描いたので今後は畝が縦に並ぶ一点透視の花畑を見つけて描く。画面右側に川が流れ千倉大橋が少し見えている。向こうに海がある。ストックやキンセンカ、矢車草など、色とりどりの花が配置よく植えられ、色彩豊かな花園の絵が出来た。

6枚目

四日目、今日は帰る日。それでももう一枚海が見える花畑が描きたくて二日目に描いた花畑へ行き角度を変えて描く。南の海に向かって逆光で温かい光を感じ乍ら描いた。花農家の方々はみんな親切で気持ち良く写生場所を提供して下さった。「昔は絵描きさんが多勢来られたけど最近ではめずらしいね」現場で写生する人が少なくなったようだ。土産に花を買って帰ろうと申し出たが「もうおしまいだから」と下さるという。「それはいけません」と無理矢理心ばかりのお金を置くと、帰りに食べてくださいと花束に草団子をつけて下さった。どこまでも親切。

春の陽光と花の香り、そこに暮らす人々との交流もまた現場写生の醍醐味である。たいへん満足して帰途についた。​

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