昔のモデルさん達

先日、嬉しいメールをいただきました。
父がまだ20代の頃、美術教師をしながら絵を頑張っていた頃の教え子のY君からでした。
池田清明のホームページを見つけて、“先生に書いてもらった絵を大切にしています”と
言葉を書き込んでくださったのです。


お名前のみでメールアドレスがなかったため、お返事ができず、
このブログで父からのメッセージを書かせていただきます。

「うわー!! 嬉しいなあ!Y君、もちろん君のことよく覚えているよ。
もう30年以上前になるな。記録によると昭和55年、私もまだ20代だった。
けっこうしんどい学校だったけれど、今ふりかえると楽しいこともたくさんあった。
放課後、君達のクラブ活動が終わって夜、美術教室でラグビー部の生徒達をよく描いた。
その最初にモデルをしてくれたのがY君だった。
練習後の疲れた時間によく付き合ってくれたな。ありがとう。
真っ黒に日焼けした高校生ラガー、その新鮮な印象がよく表現された、良い絵ができたと思う。(我ながら・・)
堺市展に出品して賞をもらった。あれから、ラグビーシリーズを何作も描いた。
皆勉強は苦手なやんちゃ坊主だったけど、本当にいいヤツばかりだった。
君は今どうしている?もう50になるか、いい歳だな。
当時の友達とはまだ付き合いがあるか?
私のことはHPで見て知ってくれているのだろう。
40年暮らした大阪から鎌倉に引っ越して3年になる。
でも今も絵の関係で月に一回のペースで大阪に通っているよ。
また一度皆に会いたいな。私も忙しくしているけど、大阪に行った時に一緒に飲もうか。」​


49歳で教員を退職するまでの25年間、教師をする傍ら、一生懸命に絵を描いてきた父。
それには、長時間モデルにつきあって下さった生徒さん達の支えがあったからこそでした。皆、描かれることを喜んで、創作意欲を与えてくれる。
当時のことだから、コーヒーとお菓子をふるまったくらいでしょうが・・。
そんな恵まれた人物画家はなかなかいないと思います。
モデルをしてくれた生徒達には感謝してもしきれないと父はよく言っています。


今は娘の私たちがモデルを務めているのでわかるのですが、
絵がうまくいっていない時はとてもイヤ~な空気。
ましてや、昔は技術的にも未熟なため一枚の絵を仕上げるのには一進一退の苦労があったはず、モデルの方もそれに付き合って本当に大変だったと思います。

今でも個展が開催されると、懐かしい顔を見せて下さいます。
それは、モデルになった生徒さん達だけでなく美術部の方々や、その家族の皆様まで。
父は、本当にいい人達に囲まれた半生だったんだなとありがたく思います。

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